日本史

日本史9 中田敦彦YouTube大学 受験生へ

 

https://keizock.com/2020/07/06/nakataatuhiko-youtube-nihonshi10/

近代というのはほぼ戦争

 

日本史エクストリーム授業最終章。いよいよ明治時代がスタート

 

ジエンドオブサムライなんですよ

「大政奉還!」「王政復古の大号令!」

近代化したいっていう正義と今までの侍はどうするの?っていう正義がぶつかり合うんですね。

 

 

どうも中田敦彦です。さぁ今日はいよいよやって参りました。中田敦彦のエクストリーム授業日本史編の完結編でございます。ありがとうございます。近代がやって参りました。この授業は世界史は世界史で別の本、日本史は日本史でこちらの参考資料を基に授業をさせていただいているんですけれども、そしたらこの書籍の方非常に喜んでいただいて、帯に顔を載せますなんて言ってYouTube大学で好評中なんてやるらしいですけどぜひ書店で見ていただければと思うんですけれども一切お金は貰ってるわけじゃないですから。単純に良いなと思ったからやって、その結果喜んでもらえて帯というね、それが出来レースというそのためのものではないですからね。

そのうえで何でわざわざこの出典を出したかというと、近代というのはほぼ戦争、すごいんですよこの重苦しさたるや。1日にこんな数の戦争書きます?そんな人いないでしょ?このあたりの近代が、いったらいろいろな考えの人がいるわけじゃないですか。ここなんですよ。近現代の日本史、世界史。特に日本史はいろんな考え方とか捉え方とかいろんな説を言う人がいるから非常に教えるのが難しいんだというところを、やる立場になって分かるわけですよね。僕は学校の教師に思ってました「もっと近現代教えろよ。何を三学期春休みを餌にぼんやりさせるんだ。何であんなに縄文土器を根深くやったんだ」ともっと近現代を教えなさいよと思ったんだけどそこは結構難しいところではあるんですよ。なので今回まず第1に、僕が絶対にこの説とか絶対にこうだという風な立場ということではなくて、これに殉教した授業を今回はやりますと、そのうえで違う本に殉教したテーマ史とか人物史とかもやっていきますので、諸説あるということも分かりますし、いろんなご意見があることも分かりますので、それはコメント欄でみなさんの意見を言っていただいたうえで、まずは知るきっかけになることは誰の損にもならないんじゃないかいう信念の基にやらせていただきますので、何卒お楽しみいただければと、ご理解いただければという風に思っております。それではやっていきましょう。

 

前回大政奉還が終わったところまでやりましたよね。いろんな黒船が来航したわけじゃないですか。まずはロシア来たんですよね、その後イギリスの船が来てそこから最終的なペリーが来ると。ペリーが最初に来たわけじゃないんですよ、イギリスとかロシアが来ててその間も二転三転するんですよ。来た船をもてなす?大砲で迎撃する?いややっぱもてなす。その二転三転たるや、まずは武術礼といってもてなす側なんですよ。「どうぞどうぞ」とかやってたらイギリス船で1回揉めてそのまま帰られたという事件がありまして、これは揉めるよ、もてなしてる場合ですか?となってから大砲撃てっていう風になったんですよ。そんな切り替えある?ハロウィンだったら困るよね「ハロウィンだよ~トリックorトリート」とか言って最初はお菓子くれてたんだけど次の年になったらぶん殴られるという、すごい路線変更でしょ?でもその大砲撃つってことをやったらそれはそれでまた事件になっちゃったり、アヘン戦争とかあったでしょ?イギリスがすごい蒸気機関の船を作れるようになって、中国にアヘン戦争を仕掛けてとんでもないことになってるの見て「大砲を簡単に打ち返したらとんでもない戦争になってしまう」と思ってやっぱりもてなすって切り替えるんですよ。もてなす、大砲、もてなすですからね、「前回あの家ぶん殴られたからやめようぜ」って入ってくる奴がいて「やばいよやばいよ。もてなされてる」という謎の切り替えが。だからグラグラしたんですよ。そのグラグラしたうえで、もういよいよ徳川の維新は終わりですよと、これはもう動かせませんということで徳川慶喜が大政奉還したということはみなさんご存じ。でもこの時の徳川慶喜の本当の思惑については分かってらっしゃる方多いでしょうか、少ないでしょうか?

 

徳川慶喜は「もう無理です、諦めます。全部お返しします」ということではなかったんですよ。何をしたかというと大政奉還で徳川家への反感はそらしたいんだが、新政府になった後も徳川家はそこのトップでいようとは思っていたんですって。意外でしょ?新政府になっても徳川家はそこのトップでいさせてねというための作戦だったんですよ。倒幕の大義名分というのは「朝廷群との対立をするのはそれは御上への反旗だな。こっちは天皇陛下がいるんだ。反旗を翻すのか幕府よ」というだったんですけど「いえいえお返しします」ということで、薩長の倒幕の大義名分を失わせようという作戦なんですよ。敗北宣言じゃなくて先手をうった作戦なの。「倒幕しようとしてきてるな薩長どもめ。でも俺がお返ししたら朝廷には全然尽くしてますよってやったら薩長どうでるよ?」でも今までトップで1番頑張ってきた徳川家をトップにみんなで頑張っていけばいいんじゃない?という徳川の高度な作戦なわけですよ。そこで「うわ、やられた」と思った薩長が「新政府になってもまた徳川のいいなり?そんなの冗談じゃない、これから俺たちの時代なんだぞ。俺たちが塗り替えるためには徳川を潰さないといけないだろ」ということでやり始めたのが、王政復古の大号令。これは聞いたことあるじゃない。大政奉還と王政復古の大号令って何となく聞いたことあるんだけど、さらっと流れてたよね。違うの、こことここが大攻防戦なんですよ。「大政奉還」という技に対して「そうきたか!王政復古の大号令!」という技と技のぶつかり合いなんですよ。王政復古の大号令ということで、許すまじ徳川。そんな作戦ではいけませんよということで「まだまだ盛り上げていこうよ、王政復古だよ。徳川じゃないよ」徳川排斥運動なんですよこれは。

そのうえで戊辰戦争になるわけですね。江戸幕府の幕末がうわーとなった後に大政奉還で一件落着みたいな雰囲気出るときあるじゃないですか、そんなことない。これから大揉めに揉めるというか、寧ろここからずっと揉めてるから。日本と言うのは江戸という時代があってその泰平の時代が終わってからずっと揉めてますから。ここを認識しておかないといけないということですよね。

 

戊辰戦争というのは、榎本武揚という海軍の人がいるんですね。元々海軍の人がいて幕府側の人が、新政府軍の過激なやり方に納得いかないぞと、私はそれには抵抗すると言ったところを攻められるわけです。地図をぜひ見ていただきたいんですけれども、戊辰戦争もいくつかの戦争の連なりなんですけど、まずは鳥羽伏見です、京都を抑えられちゃうわけですよね、新政府軍が抑える。その後彰義隊という部隊が「ちょっとやりすぎじゃないか新政府」と言ったの。それに対してぶっ潰す。京都から上野へ行ってぶっ潰す。その後会津藩ですよ。これが問題なんだ。会津藩は元々新政府のやり方に対して「分かりました。もう従います」って言ったんですよ。言ったにも関わらず「許さん!」って言ったの。新政府は何でか。長州は1度会津藩にこてんぱんにやられてるんだ。蛤御門の変というところで1回倒幕の時に会津にやられてるの。そこは深く復讐したいという気持ちがあるわけ。だから会津が「すみませんでした」って言うんだけど「許さん!」って言ってトップの首を出すまで許さんという風にしたんですって。そしたら東北の諸藩が「いやいや、会津もあの時はいろいろあったけど、同じ東北としてやりすぎだと思うよ」と守ろうとしたんですよ。だけどそれに対しても「首出せ!」って、首を出せなんですよ。首ですよ?戦国の感じがまだ全然ありますからこの時は。トップの首を斬れの意味が本当の時だからね。本当に首を斬らなきゃいけないからそういう名残なのかもしれないですよね。良かったですね我々はクビになっても首は斬られませんからね。

だけどこの時首斬らなきゃダメだと言われて「それはさすがにやりすぎだ」って言って東北戦争に至るんですね。それで会津藩も潰されてそこから榎本武揚とか土方歳三とかそこら辺の幕府軍の名残は北海道まで拠点を押されていくわけですよ。最後に五稜郭に立てこもってそこも潰されて完全制圧ということですよ。これ幕府軍のほうが数としては多かったんですって。じゃあ何で負けたか、薩長はバックにイギリスがついてるから。イギリスの新式装備。近代化された軍。これに対してテクノロジーで負けてるんですよ。サムライの時代に鉄砲持った軍がやってくるということになってた。そのうえで京都から北海道まで制圧に制圧を重ねて新政府軍は明治政府というのを自立するわけですよね。

 

そこから大改革です。廃藩置県、廃刀令、徴兵令、ここは聞いたことあるじゃない。「廃藩置県」って軽い語感で言いやすいですよね。でもこの廃藩置県というのは大事なんですよ。どれくらい大事かというとそれまでは各藩の自治に任されてたわけですよ。自治政府みたいなもんだったわけ。それを全部中央政府が作り直して役人を送るってやったわけ。これいつ以来よって話。天智天皇以来じゃない?天智天皇の公地公民制やったじゃん。あのとき豪族がいっぱいいたのよ。それを全部朝廷のもんってやって後役人置くからねってこれ他でやったの中国でいうと始皇帝だよね。郡県制ってことにしてそれまで春秋戦国時代とかいって7つの国が争ってたところを全部1個ってやった。

そのやり方が戦前のときから崩れ始めて全部上手く税金を徴収できなくなってコントロールできなくなって墾田永年私財法ってだんだん分けるようになって、そこから荘園が出来て荘園を束ねる貴族が現れて、そこの周りをガードする武士が現れて、その武士が台頭して、その武士が貴族を打倒して、その武士たちが乱世を争って、その武士たちが乱世を争った後にその武士たちの親玉である徳川家康が武士たちを上手いこと外様だ何だってやったけれどもその中でも自治はしてたんだよ。公地公民が崩れてからもずっと侍たちによって土地が分割されてたところを一気に廃藩置県でもう1度やる。だから土地をどういう風に使うんですかって言う争いなんですよ。ずっと土地について争ってる。

そのうえで廃刀令。これも初めてじゃない?刀狩りとかもしてきたでしょ?何度も天下を統一したのが、秀吉ですよね。秀吉が統一して「もう戦争はいらない!関白である!刀を全員よこすのだ」って言って、それでも結局戦争は起こるんだから。そのうえで廃刀令して徴兵令。

 

この徴兵令、廃刀令、廃藩置県1番困った人誰ですか?侍ですよ。「ジエンドオブサムライ」っていうことなんですよ。文字数奇跡的に合いましたね。「ジエンドオブサムライ」侍の終わり。

要するに刀を持っちゃいけないというのは前の刀狩りの時は、農民やりながら兵士やってるような奴らが反抗しないようにやってたでしょ?これは特権の排除なんですよ。侍という特権を排除して徴兵に変える。要するに全員をこっちが軍として使えるようにするという、それも中央集権なんですね。それぞれの藩に「上杉どの兵を出してもらえますか?」とかそういうこと言わない。全部が日本の兵士ということにする。このことによって何がしたかったかというと、近代化したかったんですよ。これも天智天皇の時とすごい似てるよね。あの時も中国の圧力があって、中国の属国にアジアがバンバンさせられてる時に「いやいや日本は日本ですから」って日本という国号を決めて元号を大化という風に決めて「こっちで俺たちやってきます」って自分達のチームを作ったわけじゃないですか。そういうことを今欧米諸国、欧米列強に対して「このままじゃ潰されるから。イギリスやアメリカやロシア皆着てるから作らなきゃ」っていったのが長州薩摩の新政府の大命題だったんです。

ただその結果特権が失われた、侍の。近代化したいという正義と、今までの侍はどうするの?っていう正義がぶつかり合うんですね。なるほど、新政府のやりたいことは分かると。ただ急激な変化はものすごい反発を生むというのは歴史で見てますよね。もちろん天智天皇の時も反発がありましたよね。壬申の乱とか天武天皇ともいろいろありましたし、始皇帝だって結局急激な変更をしたが故にいろんな反発を食らったわけじゃないですか。もちろん反発がある。そこで出てくるのが西郷どんなんですよ。「俺たち侍だろ?」ってみんな維新の時って侍だったんですよ?あれだけ頑張った侍が「侍頑張りましたー!」って後特権無くなるってどういうサービス?っていうね。「頑張った人たちこれから何の権利もなくなります!」とういう「俺たち頑張ったのに?」「俺たち今までトップだったのに」って、市民平等というのが掲げられて武士の中でも平民という形で士農工商とか分け隔てなく全部一緒にさせられたということが悔しくて、本当につらいよその時の侍。急に刀奪われるのよ。これがあるから「おい見ろよ~」とかやってたのに奪われちゃって「飯どうやって食えばいいんですか?」「何か商売でもしろよ」って言って。

でも商人とかは一族でずっと商売のやり方をやってきてるわけでしょ?急に侍が商売やったって上手くいかないんですって。だから侍が困って商売やり始めるんだけど全然上手くいかない、これを揶揄して「士族の商法」っていう言葉があるんですよ。急に商売やっても「あいつら今まで偉そうにしてたけど急に商売して全然ダメじゃん。今まで偉そうにしてたのに!」って笑われるわけ。つらいよね。「刀ねぇな。商売も上手くいかないしさ」とかなったうえでそういう人たちの不満が募る。そういう不満を西郷どん引くわけですよ。

 

結局イギリスなんだよ。

その後の日清日露、これイギリスなんですよ。

戦後恐慌、震災恐慌、金融恐慌、ときてボロボロですよ、スリーパンチ食らってるからね

 

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