日本史

日本史7 中田敦彦YouTube大学 受験生へ

 

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「家康さん、お久しぶりです!父が大変お世話になったと聞いております」「こいつはやばいなぁ」

死ぬ覚悟が出来てギンギンになっちゃってる「地獄行こうぜ俺と一緒に!」っていう奴たちが前からくるんですよ「いやいや怖い怖い、あいつおかしい」

 

 

「なぜ俺が猿に頭を下げなけねばならぬ」って半沢の土下座みたいだね「うぅ!土下座・・・!」あの香川照之さんばりの「猿がなぜ!柴田勝家がなぜお前に!」って言ってさせられてしまうわけですよ。そのことによって柴田勝家派と秀吉派が一触即発になるわけですね。そのうえでいざ、柴田勝家と秀吉の時に勝つわけですよ、それが「賤ヶ岳の戦い」というのですね。ここで勝つ。光秀を討ち、勝家に勝ち、ここも上手くない?スピード&コミュニケーションの人だよね。根回ししてさ、自分が1番強いという自信がないわけですよ。だからこそものすごい頭を使うわけです。根回しをする、そして勝家もいなくなった。もうすぐですね。そうなった時に阻んできたのが徳川家康だ。

 

「小牧長久手の戦い」というのがあるわけですね。家康が「そう簡単には全ては上げられないね。私も最有力候補の1つだよ」ということで徳川家康が立ちはだかるわけですよ。ただ徳川家康は難物ですから勝てないわけですなかなか「うーん、拮抗してるな。家康の抵抗を何とかなくせないかな」とうところで、ここブロックじゃない、家康を討ちましたという話じゃない「無理か!分かった。武力制圧のラインは無しだ、あいつは強い。家康認めよう。あいつはなかなかやる男よ。しかし私には作戦があるんだ」スピード&コミュニケーション。

彼は朝廷に近づくんですよそこから。朝廷の権威を借りるわけですね。それまでの猿の1番のコンプレックスが、出が農民だということなんですね。それまでの僧軍職っていろいろあるけど、昔を辿れば源氏の流れとか、昔を辿れば平氏の流れとかというのが未だに重用されてた時代だったんです。だからそうじゃないと将軍にはなれませんよとか言われてたんですね。だから豊臣秀吉は将軍にはなれないだろうと言われてた、でも朝廷に近づいて太政大臣、そして関白という権威を得るんです。すごいやり方、ウルトラCを決めるわけですよ。「関白、秀吉である!」こうなるわけですよ。「朝廷の権威もあり最有力候補となった今、争うことが一体どこにあるんだ?それは正義か?関白として言う。日本はもう戦争はいらない!」って言うわけですよ。それで家康が「うーん」となるわけですね。「ならばもう従うしかないのか」と。でも家康はまだうかがってはいるけどもそこが上手いんだよね。とにかく抑えるところは抑えてるんだけど、何でもかんでも武力でやらなかった。しかも勝った相手、負けた側にも信長だったら全部奪う、全部潰すみたいなことをやってたんだけど、潰さない。最後まで抵抗した小田原、北条氏に対しても命を生き永らえさせたうえで「配下になりなさい」こっちだったんですよ、部下にする。逃げ場所を用意しておくんですね。ここのギリの上手さ。これが豊臣秀吉という男なんですね。

 

ところがこの秀吉にも終わりが訪れるわけです。それが朝鮮出兵のさなか病で死んだというのは結構有名だと思うんですけど、あれは何で朝鮮出兵したんだろう?と思うじゃないですか、それだけ聞くと分からないんだけど、あれはもっと広い視野が秀吉にはあったみたいだね。あの時「うちの属国になれ」というのは朝鮮だけじゃなくて中国にも東南アジアにも出してたんだって。だから秀吉はここからアジア全域を抑えようって考えてたらしいんですよ。その中でやはり「明」。明もその時結構ぐらついてたという事情を見透かして行ったらしいんだけど、抵抗が強かった。1発目は朝鮮半島から入って、韓国のソウルを抑えちゃって、そこから中国にも入っちゃって、そこまで行ったんだけど向こうの奴らがやってきて拮抗しているなというところで1回和睦。「はい、1回逃げます」ってやって「もう1回じゃー!」って言って、そのきっかけ?お前どうしたんだ?」っていう挑発を受けて「行ってやる!」ってもう1回行く。でも2度目行くときには準備万端向こうは。「どうせ日本来るんだろ?じゃあこうしてこうしのいでやれ」難航してるよ、生かされてる加藤清正「もう腹減った。秀吉さんこれキツイですよ」ってなってる間に秀吉が病死するということで撤退という風になるんですね。

 

天下は統一したものの、さらにさらにと夢を見た秀吉。それが敗北を喫したというところを見ていたのが家康ですよね。家康はずーっと見ているというね。服従しても見ているというね。見ている家康ですね。この見ている家康が「バイオレンス&イノベーション」「スピード&コミュニケーション」こっちはスタンド名を言うのであれば「パーフェクトコントロール」ですよ。徹底管理という非常に強いパワーの能力者なんですよね。

「バイオレンスイノベーション」というところから「スピード&コミュニケーション」「パーフェクトコントロール」というね。これが強いんですよ。ここのイノベーションがすごくて、そこまでも関ヶ原、大坂夏の陣、ここら辺盛り上がるよね。光成軍との戦いであるわけですよ、秀吉が死んでその後どうするんですかの抗議性のなかで、武力でやってきた武断派のトップが家康、文知でやってきたトップが三成。事務方のトップ三成VS武力派の家康どっちなんだの争いね。

これもいろいろあったらしいですよ。結構劣勢だった家康も。向こうの光成軍10万人くらいいた。そこで家康がとった方法が手紙作戦なんだって。手紙で「こっちの味方についてください」「こっちの味方についてください」ってむちゃくちゃ出してて「殿、まだ出陣しないんですか?」「いい!手紙を書く!」それが後からじわじわ功を奏してきて

向こうの軍がどんどん裏切るんだよね。「裏切る?裏切らない?」裏切るって奴にも合戦が始まってから小早川ってやつがいて、小早川に「おいどっちだよ!裏切るって言ってたよな!手紙出したよな!」パァン!って撃ったら「そうだった」ってもう1回裏切ったりして戦局が変わって最後の最後までギリギリだったところを制圧したのが関ヶ原の戦いだったそうなんですね。三成というのは負けたけれども運が悪かっただけだという言葉を負け惜しみのように残してるけれども本当にそうだったんじゃないかというくらい拮抗してたらしい。

 

そこから江戸幕府。これは征夷大将軍に家康がなるわけですよトップで。ところが豊臣家はまだあるわけだ。家康は御年60ですよ。いい感じにミドルな感じ、もう白いですよね。「家康ですよ~」ってね。ある日豊臣の二代目秀頼見に行ったんだって。「ちょっと挨拶行きますね。秀頼君大きくなったねぇ」って言ったときに秀頼がめっちゃ優秀そうだったんですって。「家康さん、お久しぶりです!父が大変お世話になったと聞いております」「こいつはヤバいな。あいつは潰しておかんとまずいだろ、どう考えてもあの目は俺を殺す目だ」となって豊臣家にいちゃもんつけるんですって。秀吉を奉る寺をリフォームするみたいなときに「そのリフォームのところで俺の事悪く言ってる文字とか書いてるじゃん」っていう本当にそのくらい謎のいちゃもんをつけて「なんすか!徳川さんどうしたんすか!」「いや、ダメだよそれ」って言って、堀埋めろとかいろいろ言うわけですよ。「これ明らかに徳川が豊臣潰そうとしてるんだ」っていうのがあって1回争いかけて、和睦をしたと見せかけてもう1回いちゃもんつけて「従業員全部クビにしなきゃダメだよそれ」とか言って「徳川さん何を言ってるんですか!何もしてないじゃないでしょうち」「明らかに殺そうとしてる、もうまずい」となって大坂夏の陣があるわけですね。

大坂夏の陣に至っては関ケ原の戦いと違って圧倒的徳川有利と言われてたわけですよね。ここで活躍するのが真田幸村。絶対負けると分かっていた豊臣側についたというところが面白い話なんですよ。真田幸村の軍というのは、義経っぽい感じかな人気の感じでいうと。負けた側の判官贔屓っていう言葉があって、弱い者が好きという負ける方応援しちゃう日本の感性みたいなのは義経のことを言うんだけどそういう感じかもしれない。真田幸村をみんながかっこいいと思うのって。負けると分かっていても「それでも俺は豊臣にいく」って、そのストーリーじゃない、真田丸とかもそうだったよね「秀吉のほうにいきますよ世話になったからね。死にに行きますか」ってこれですよ。真田幸村の家紋というのは六文銭という6個のコインが書いてあるんだけど、「何で六文?お金がないのかな?」とかそういうことじゃなくて、六文銭というのは地獄へ行くときに三途の川を渡るときに三途の川の渡り賃として六文必要らしいぜっていう逸話があって「じゃあもう俺たちは死ぬ覚悟が出来ている。俺たちに残るのに必要なのは長い人生ではなくて、六文のお金だけさ。さぁ、地獄へ行こうぜ」これですよね。かっこいいですよね真田幸村。旗の紋章から何から全部かっこいいわけですよ。だからみんな好きなんですよね真田幸村って。

真田幸村なんで人気かって、絶対的に不利と言われた中で家康本陣では「絶対勝つからね、うちはね」って高く括ってた家康本陣まで突っ切って行っちゃったことなんだよね。ギリギリまで追い詰めたと言われてるんですよ、死ぬ覚悟ができてギンギンになっちゃってる「地獄行こうぜ俺と一緒に!」っていう奴らが前から来るんですよ。「いやいや怖い怖い。あいつおかしい」「地獄行っちゃおうぜー!」とか言ってそのまま直線で突っ切って本陣までやってきて、一説によると家康は何度も「ちょっと待ってくれ!もうだめだ俺は腹を斬る」って何度も言ったらしい。それくらい大慌てふためいたんだけど、すんでのところで色んな奴に助けられてギリ助かると。それくらいギリまで追い詰めた真田幸村なんと忠義のやつよ。というお話しがここには残ってるわけですよね。だけどここでは僕はあまり触れないと。結構触れちゃったけどね。

 

大事なのは徳川家康の「パーフェクトコントロール」とは一体何だったのかということなんですよ。これが分かると国を治めるって何だろうということに向き合うと思うんですね。会社を興したり経営する、大人になったりして、自分のチームを抱えたりして、「俺はチームをコントロール力はないな」と悩む人多いじゃないですか。学生さんでもリーダーになって、サッカー部の部長とかになって「俺がトップじゃダメなのかな。先代は上手くいってたのになぁ」とか悩むこと多いじゃないですか。人間は勝手争うまでで終わらないんだよね、勝った後に自分達の仲間を幸せにするという大きな業務が待ってるわけですね。それに立ち向かう方法を知るために日本史というのはあるんじゃないかなと思ってるんですよ。

だから戦って勝つ方法だけ注目しているうちはあなたは子供なんじゃないの?その後このパーフェクトコントロールを分析して始めて江戸時代面白くなるんですよ。パーフェクトコントロールの時代、初代から3代目家光までは武断政治って言われてるんですね。徳川の時代って長いでしょ?長いからいろいろ言われるんですよ何とかの治とか何とかの政治とか何とか改革とかいっぱいあるでしょ?いやだよね。15代覚えようって歌をやったけど本当は15代覚えなくていいと俺は思ってる。矛盾だけどさ。好きな人は覚えたほうがいいけど本当はあまり自分で政治をやってない人とか、幼くして天に召された将軍っていっぱいいるわけですよ。その中で本当に重要なランドマークになる将軍だけを覚えておいたほうがおれはいいと思う。そのうえで江戸がどういう形で300年続いたか、たったの5つに分けました。5つだけ覚えてくれれば大丈夫です。

 

まず最初は武断政治、厳しくいきます。タイトに締め上げます。「お前たち江戸幕府の言う事聞けよ!」ってやるんですね。聞けよってやりすぎた結果反発を受けて、次の4、5、6、7は緩くします。「優しくしてあげま~す」「さっきまであんなに締め上げてたのに優しいんですか?」優しくしすぎたのでもう1回8、9、10辺りで締め上げます「厳しくいくぞ!」「やっぱり厳しいんですね、江戸さんはやっぱり厳しいんですね」ってなった後、その反動で11、12、13くらいまではかなり緩やかです「遊んじゃいなよ。ぱーりー始めちゃいなよ」みたいなね。それでタイト、ルーズ、タイト、ルーズでジエンドを迎えると。それで覚えると簡単なんですよ。これで区切ったほうが分かりやすいんですよ。

 

まず最初のタイト、ここで発揮されたのが「パーフェクトコントロール」これが上手く行ってるからここまで続いたんじゃないかと言われているんですね。それがまず、武士たちへのコントロール。2つのダブルコントロールが効いてるんですよ。家康のダブルコントロール「武士&農民」武士のコントロールまず監視と配置が上手かった。有名ですよね、外様とか、親藩、譜代とかと違うよなんて言って、後から味方になったやつは遠くに配置しますっていうシンプルなんだけど今までやらなかった。今まで住んでるところで叩いたりいろいろしてたでしょ?そうじゃなくで「お前は後からだから遠く、お前も遠く」って遠くにやっていくという作戦。プラス近くに幕府直轄地を置いて、監視もしておくわけですよ。遠くに引っ越させたうえでずっと見てるというね。「すごい見られてるなぁ、監視カメラつけられてるなぁ」ということが1つあります。

そしてもう1つが財力の削減そして武力の削減。財力の削減が上手いんだよね。「結局お金もったら反抗するじゃん」ということで「適度に削ったらなねー」これなんですよ。こわいよね。生かさず殺さずという言葉まさにここに当てはまるんじゃないですか?

 

 

いやぁうまくできてる、これは現代の企業でもこういう企業あるんじゃないですか?

生かさず殺さずの給料をやり、生意気を言ったら遠くへやりというまさに今の企業のやり方じゃないですか?あなたの企業はどうでしょう?

 

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